子供たちという全体性を新しく発見する

日本のどの町にも、群れて遊ぶ子供たちの姿が普通に見れました。大きな子も小さな子も、女の子も男の子も混じった子供たちの遊び走り回る光景。元気に町を自在に遊び冒険する子どもたちの集団がごく普通に世代として存在しました。極たまに町を探険して遊んでいる子どもたちを見かけると、魂が痺れるほどい嬉しいと身震いします。1970年代から 町を遊ぶ子どもたちの群れがこの国から大規模に消滅しました。圧倒的に多数の子どもは、生活圏が町から疎外されていきます。小さな子どもたちは「皆園児の時代」を迎えます。小さな子どもたちの80パーセントが保育園と幼稚園に組織される事態を迎えます。幼児は、孤立した核家族と園庭と園舎の保育環境に閉ざした保育園と幼稚園との往復に生活世界を閉環されました。高度経済成長に時代状況は教育をマンパワー政策の道具に改変しました。小学生は放課後の遊ぶ時間を奪われ、学校と塾や教育産業と家へ閉塞していきます。これまで世界だった都市という町の自然から子供たちは追放されたのでした。ここに子どもたちの世代としての経験は消滅しました。その後半世紀の長きに失わせ解体された。町を自分たちの“やりたい”の共同性で好奇心のままに遊んでいく自在な子供たち。転んでもなんのその。擦り傷なんて当たり前。怪我して、怪我をしない方法を身に着ける。子どもたちが大きくなる育ちの経験を出来なくされた子ども。ばらばらに個体に解体された「個ども」に無力化された時代が、すでに半世紀を超えて継続してる。町を遊ばない経験。友達と助け合い、共に育つ経験を持てない。遊べない世代として子供が経験されてきた。戦後の子供の滅びに実態です。この時代状況と通底して教師も保育士も幼稚園教諭も、親も町を遊ぶ経験を出来ないまま大人にされた。あの不思議なめくるめく楽しい遊びの全体性。世界を友達と冒険していく夢中も、遊びの醍醐味も経験しないままに半世紀が過ぎた。崖の登り方も、木の登り方も、世代の経験として身に付ける育ちの階段を登り大きくなる。そういう経験をまるで知らないまま大人になっている。彼らが教育や保育幼児教育に携わっている。これが都市の時代の「個供の時代」の現在の寒々とした文化の位相です。 何れ 子どもたちは親から自立し、遠くへ旅立ちます。しかし、子どもが見えないところに居ることに耐えられない「不安神経症」の観念の症状が深く広く蔓延してる。親と保育者、教育者を捉えている想念。言えば、 「哀しい町知らず、遊び知らずの個供たち。共同性を生きれないままに来た、孤独すぎる「個供」の「個体時間」の寂しい無惨な末路なのです。子供たちと言う優れて全体的な何かとは無縁な。僕たちの子どもたちの時間は、時代もありますが、どの家族も皆、貧しいのが当たり前でした。親は働くのに追われ仕事に出っぱなし。親と顔をあわせる時間は朝ご飯と夕飯の時間だけです。子どもたちが何処にいようと 何をして遊んでいようと、見えないところに子どもたちがいるのは当たり前な自然の状態でした。親たちは、子どもたちは子どもたちという仲間たちと共に遊んでいれば大丈夫だと確信してました。自分たちの町の遊びの世代としての経験で知ってました。もしも、子どもたちが怪我をした時は、地域の育児力が発揮されました。いざ何かあれば、町の大人が、おじさんやおばさんが必ず声をかけた。助けてくれた。助け合い、支えあう自治が活性していた。それが自然な時間が町に流れていた。優しい共生の世間に繋がり支えられて、町を自在に群れ遊ぶ、小さな子も大きな子も、女の子も男の子も混在した子どもたちの世代の輝ける子供たちの時間が可能だった。それが半世紀に渡り解体され消滅した。戦後の子供の歴史の実際です。 群れて遊ぶ子どもたちの位相とは対極の、町を知らず 町という情愛の共同性も知らず、子どもたちの世代の経験という豊かも知恵も知らず、家と何か教育施設との往還に閉ざされている子供の疎外態。町は怖いところ、危ないところくらいにしか認識を許されないで来てしまった個供の現在。もしも怪我したらどうする。死んだらどうする。恐れる保育や教育の無残。つまりは、環境世界から、都市という自分の町と言う自然を生きる事を阻害されて来た。子供たちから未熟なままに、何か競争と発達を強いられてきた。教育で無く恐育を強制されて来た無惨とパラレルな関係で、不安神経症の共同性として親モンスターや学校へのクレーマーと恐師モンスターや管理教師が現象している教育の荒廃。そういう風に現在を読むと色々つながって事態が見えて来ます。 今も各地で自主保育や共同保育、冒険遊び場というカタチで町という都市の自然を遊ぶ保育が行われてます。ここまで解体されてしまった「個供たち」という世代ですが「ちょっと町まで冒険♪」で物語としてご案内してるように、子どもたちの世界への好奇心を道案内とする。彼らの“やりたい♪”の共同性に任せれば町という新しい都市の自然は、いくらでも楽しく夢中に遊べる事。不思議あり喜びあり、時には涙ありの、暖かな魂の育ちと友愛に溢れたハラハラドキドキ満天のドラマが広がってくる。豊穣な奇蹟のような子どもたちの時間を開示してくれる。町を遊ぶ子どもたちという非常に単純明快な時代が一番に求めている大切な課題にひとりでも多くの心ある皆様が気づいてくださる事を切望します。そして家族で、友人で子どもたちと町を遊び町へ冒険に出かけるなら。子どもたちの“やりたい♪”の共同性に任せて、彼らの新鮮な世界への好奇心を道案内として町を遊び冒険していくなら、どれほど愉快で不思議なドラマが始まるのか試してください。町を子供たちが遊ぶ。その経験が様々な町で始まるなら、新しい都市の時代の子供たちの世代を文化に用意できる。その暁に間違いなく時代は素晴らしい世界に変える事が出来るのです。

ちょっと町まで冒険! 大森ジャングル探険隊♪

生まれる未満の約束。地球で何時の日にか逢瀬する結び。あなたの人生という本に読みふける。夢中に謎を解く。絵も言えぬ歓びに心踊らせる。女性の不思議と謎に思いを馳せる。知るほどに目くるめく無上の喜び大地に溢れる。至福の思い海に溢れる。気づけば君に恋してる♪

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